総論(1)

「買ってはいけない Part2」に関してはいくつか特徴的な記述がある。 最大の特徴は、 その他の特徴は、「20世紀のドグマ」が具体化したもので、類型として次のようにまとめることができる。

1つの製品を批判して不買を呼びかけている

前作「買ってはいけない」と同様、最大の特徴である。これは、「トップ企業をたたくことが、食の現状を変える」(1)という考えによると思われる。さらに著者の一人は、「一罰百戒の意味を込めてトップの企業をたたくというのは、状況を変える上で効果的だ」(2)ともいう。一罰百戒とは、誰が著者らにそんな権限や権威を与えたかは知らない。トップ企業とは、おそらく市場占有率1位の企業のことである。つまり、トップ企業が製品を変え、それに2番目以降の企業が習い全体として変わっていくという思いに起因するようである(3)。著者らはこの方法が正しいと信じ自信を持っているから、何度も繰り返すわけであるが、本当に方法論は正しいのだろうか。

「買ってはいけない Part2」では、前作「買ってはいけない」で取り上げた商品がその後どうなったかをリポートしている。そして、いくつかの製品が変わったとされている。これは、著者らの影響もあるかもしれない。しかし、書籍の中で「悪い、悪い」と書かれ商品イメージが悪くなったので変えたとか、自然=安全のドグマに迎合しただけのことではないだろうか?。まあ、著者らの目的は製品を変えることにあるのでこれでも目的を果たしたことにはなる。しかし、企業は、イメージをよくするとか、世間に広まっているドグマに受け入れられやすくしただけのことであって、使っているものが危険だと認識して(そもそもそんなに危険な物は使っていないものが多かった)、成分などを変えたわけではない。場合によっては、「化学調味料」と言う言葉を「うまみ調味料」と言葉を変えるだけのようなことだって起こっている。

それに、「トップ企業が製品を変え、それに2番目以降の企業が習い」というが、日本社会が横並び社会だとしても、本当にこんなことは起こるのだろうか?。イメージを悪くすることによって、トップ企業の製品の売り上げが落ちれば、2番目の企業が喜ぶだけではないだろうか。

商品名と共に買ってはいけないと言う強烈なメッセージが記事にはある。著者らは、商品に含まれている成分がいけないから、買ってはいけないと主張しているのだが、この書き方では、読後、容易に、商品=買ってはいけないと、短絡して理解されてしまうのではないだろうか。つまり、その商品だけを買わなければよいと理解されてしまうのではないだろうか。さらに、伝聞するに従って、文章的に長い理由の部分は捨象され、やはり、商品=買ってはいけない、と短絡した形で伝わっていくのではないだろうか。これでは、著者らの本当の(?)主張は理解されもしないし、伝わることもない。
これは、サプリメントや過剰な清潔ブームに便乗した商品を批判したページでわかりやすく現れている。サプリメントを批判するのならば、正しい食生活や栄養の摂取をよく説明すれば充分なはずである。そうすれば、定理と系の関係のように、サプリメントはほとんど不要であると言うことが自ずから導かれる。商品を叩くことに主眼をおいているので、どうしても、この「定理」の説明が不十分になってしまうし、その商品だけを買わなければよいと言う印象を受けてしまう。また、次々と現れる同様の商品をモグラたたきのように叩かねばならなくなってしまう(4)。もっとも、「正しい食生活」や食品・栄養、保健などに関しての説明が見開き2ページでできるわけはない。

本来ならば、XXXは危険な成分であるから、これらを含んでいる製品を買ってはいけないと言う論理展開をし、タイトルもそれにあわせるべきではないだろうか。トップ企業を叩くよりも、XXXという成分の危険性を消費者に情報提供して、消費者の理解や知識を向上させる方が、方法論としてまっとうなのではないだろうか。「買ってはいけない Part2」が採用している方法論は、私には、単に企業を叩いて(非難して)喜んでいるようにしか感じ取れない。
この特徴と、後に上げる特徴「難癖を付けているとしか言いようのない記述がある」から、ドグマで説明した、三段論法を導いた。

記述が定性的で定量的でない。
量の概念がないか理解していない。

定性的になることは、科学の啓蒙書ではある程度しかたのないことかもしれない。科学の本を書こうとするとどうしても数式や数値が多くなってしまう。しかし、「数式は嫌!」という人が多いので、こういった啓蒙書では、「数式を1つ書くと売り上げが1割(または1/2)落ちる」という説もあり、数式や数値が少なくなくなって定性的な説明になるのはある程度やむを得ない。
前作「買ってはいけない」で批判されたことがこたえたのか、Part2では数値がかなりの頻度で出てきている。数値が書いてありさえすればよいのかというとそんなことはないのだが、進歩かもしれない。しかし、数値が欲しいところや定性的な説明で終わってしまっているところも多々ある。

著者らは、「危険性のあるものはたとえ微量でも使ってはいけない」というドグマを持っている。このドグマは、危険性があれば、どのくらいの量が危険なのかは問題とならないから、定量性など全く問題にならないし、当然、量の概念もない。このようなドグマを持っていては、いくら数字を出したとしても、定性的と定量的の違いを著者らは理解していないといえる。「ある物質が毒であるか毒でないかは、その摂取量による。」と言うことを思い出さなければならない。量の概念がなければ次のような文章を書くことができる。

エタノール含有飲料の害はよく知られている。 このような危険性のあるエタノールを含んでいる飲料を買ってはいけない(5)
この文章を本気にする人はいないと思うが、こんな文章も書けてしまう。どのくらいの量を摂取すると問題になるのかが重要である。量の概念は非常に重要である。
(1)「買ってはいけない Part2」天笠啓祐ほか、週間金曜日、1999年、p179
(2)「買ってはいけない Part2」天笠啓祐ほか、週間金曜日、1999年、p184
(3)出典は忘れました。どこかの本に書いてあったような気がします。
(4)「買ってはいけない Part2」天笠啓祐ほか、週間金曜日、1999年、p184
(5)エタノール含有飲料については、「買ってはいけない」「買ってはいけない Part2」でも取り上げているが、添加物や製造方法について批判しているのであって、エタノールの害を取り上げて批判しているのではない。エタノールの害はエタノール含有飲料に含まれている食品添加物の比ではないのにである。